母が神様になりました。
久しぶりのブログです。 と言うのも、しばらく与論島の実家に帰っていたのです。 実は、7月11日、母が亡くなりました。
たくさんの方に、心配や励ましの電話やメールを頂きました。 おかげさまで気持ちの整理もきちんとつきました☆ 「てぃだ」にも、月曜日から復帰させていただいて、いつものように料理を作って、三線を弾いています。
7月11日、お昼過ぎ。 珍しく弟からの電話で、ちょっと違和感を感じつつも携帯を取ると、突然の不幸の知らせ。 びっくりを通り越して、信じられません。 実家に帰るために仕度をしなくちゃいけないんですが、ベランダに出てみたり、リビングで座ってみたり、家の中をうろうろすることしか出来ませんでした。
連絡を聞いて、「てぃだ」の師匠と奥さん、重さんや洋一、常連さんの河野さん達が、かわるがわる家に来てくれて、何とか気持ちも落ち着いて、(自分ではずっと落ち着いていたつもりだったんですが、周りから見たら結構動揺していたみたいです。) 次の日の朝一番の飛行機で与論島へ飛びました。
大阪からは僕と、母の妹になるおばちゃんといとこ達。 東京から母の弟になるおじさんが。 親戚7人、那覇空港で合流して、与論島行きの飛行機に乗り換えます。
・・・が、台風が来ていました。 「一日遅かったら飛行機飛ばなかったなぁ。」なんて話をしていましたが、考えが甘かったんですよ。 台風は近年久しぶりの大型台風。 ギリギリのところで与論島行きの飛行機が欠航。
台風は近づくばかりなので、その後の便が飛ぶわけもありません。 それでも、万が一の天候の回復を祈って、空港で粘って待ちました。 が、そう簡単には奇跡は起こりません。 それから2日間、那覇のホテルに閉じ込められてしまいました。
本当なら長男の僕が喪主を勤めるはずだったんですが、どうしても間に合いません。 お通夜もお葬式も、すべて弟に頼みました。 与論の親戚のおじさんおばさん方がみんなで助けてくれるので安心はしていたんですが、やっぱり、もう実家に戻っても母の顔を見ることが出来ないのが残念でした。
その代わり、那覇の7人はホテルでかあちゃんのことや、昔話などいろいろ語りました。 丸まる二日、台風でろくに外出も出来ません。 まぁ、おかげで話をする時間だけは、たっぷりとあったんですけどね。
すべてをここで語るには、時間がいくらあっても足りません。 けれど、那覇で2日間たっぷり話が出来たこと、昔は頼りなかった弟が自分の力でしっかり頑張ってくれたこと。 他にもいろんなことを考えると、すべてはこうなるようになっていたんだろうなぁ。 と、納得できました。
亡くなった顔を見てないおかげで、今でも島に帰れば、空港の出口のあたりで、笑って迎えてくれるような気がします。 いつでも会えるような気もします。
3年前に父が亡くなり、半年前に母の一番の親友だったおばちゃんが亡くなり、いつもいつも何かあると、その二人のことばかり話していました。
きっと、父と友達の所に行ったんだと思います。 行きたかったんだろうなぁ。 自分に自信がなくって、父に頼りっきりの母でした。 逆に、父が呼んだのかもしれません。 「やっぱり、かあちゃんの面倒は俺が見んといかんわ。お前達はお前達で自分のことを頑張れ!」 って、言ってるような気がします。
それにしても、親戚の皆さんも、知り合いのおじさんおばさん達も、みんなが口をそろえて「あんたのかあちゃんほど、心の優しい人はいなかったよ!」と言ってくれました。 確かに、そうだったと思います。 優しさゆえに、自分を責めて悩むことも多かったです。 実家にいるときは、母とたくさん語っていました。 だから、母の優しさはホントに良く分ります。
僕と弟をここまで育ててくれました。 恩返しは、まだまだ、し足りないような気がします。 「親孝行はこれからも出来る。亡くなってからがホントの親孝行だよ。」と、誰かに教えてもらいました。
父と母がいなくなり、残ったのは、たった二人の兄弟。 力をあわせて、頑張っていこうじゃないかぁ!! と、弟と語って、大阪に帰ってきました。
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